投稿日:2008-08-22 Fri
その選定基準の一つに共感がある。どんなに技巧に凝った文章でも、共感は往々にしてそれを飛び越える。
それでも良い本は年代別に、性別に、統計的にある程度偏る傾向にあるから、内面的な人の雛型という物は存在するのかもしれない。
投稿日:2008-08-20 Wed
サリンジャーのライ麦で有名な一文。僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ。の方が分かりやすいだろうか。まあ、どちらかというと攻殻の笑い男編で有名。そうでなければ私もこの一節だけに注目はしなかったかなあw
これ、笑い男は世の中に絶望して姿を消した時の心境から引用したのだと思う。
一方ライ麦のホールデンは、どこか自分を知らない場所に行って暮そうと考えた時にこの一節を言ったのだが、両者の間には似ているようで――というか確かに似ているのは似ているが、似て非なる部分があるんじゃないかなあと思う。当然と言えば当然だが。
ホールデンは完全に絶望していたのかというと、そうでもない気がする。多分。勝手な解釈で。
ホールデンはこう続けている、そうすれば誰とも無益な馬鹿らしい会話をしなくて済むから。誰かが伝える事があれば紙に書いてよこさなくちゃならない。
作中でフィービーや他の細々とした「好きなもの」を目の前にしているホールデンは、結構生き生きとしているように見える。そして彼は妄想の中で自分と同じような唖でつんぼの女性と結婚して、子供の教育方針まで妄想している。
ホールデンは確かに世の中の下らない物に絶望していたのかもしれないが、唖でつんぼになることでそのような素敵な物だけを見ていられるのではないかと期待していたのではないだろうか?
味気なく言うと、逃避と、後ろ向きな解決策の違いだろうか。
世の中はどっちも違わないというが、私は明確に違いがあると言いたい。主に自己便宜的な意味で。
そういえば攻殻では差別的表現から唖でつんぼ〜という訳を避けているらしいが、ここではそういう意図で使っている訳では無い。なんて書くのも馬鹿馬鹿しい。
必要もないのにわざわざ使う事もないが、使った事に対してわざわざ指摘するほど馬鹿らしい事もないと思っている。
投稿日:2008-08-15 Fri
関係ないものは束にして部屋の隅に積んで、放っておけばいい。今は目の前の物事に集中せよ。
現実のみから未来を予測せよ。論理的に、現実的に。
悲観も希望的観測も懺悔も後悔も全て、終わってからやれば良い。
そんなものに後ろ髪を引かれるなど、滑稽すぎるだろう。
投稿日:2008-07-29 Tue
正しい英語なんか知ったこっちゃない(笑)死語だろうか。でもwとはまた別の趣があると思う。
時間がない。
私にとって、立ち止まって考えるには日常の時間の流れは早すぎる。
考えを纏め、言葉を紡ぐにはあまりにも短い。時々恐ろしく貧相な、自分の語彙が、思考が憎い。
投稿日:2008-07-28 Mon
皮肉だ、今ほど神の存在を感じられたことはない。どうやら人は本能的に、感情をぶつける対象に明確な形を与えたいらしいものらしい。いや、それは感情に留まった話では無いだろう。
論理的には無神論者の私でさえ、自分の運命を翻弄しているのは神だと信じたくなってしまうではないか。
神論者と違うのはそれが悪魔に等しいという事。
どうしようも無い自分の置かれた環境を説明するために神を創り、正しさの証明に悪魔を創り、これほど虚しい事も無いだろう。
それを虚しい事と割り切ってしまうほど、私は論理的な人間では無いらしい。
